ある日突然出会った台湾式ダイエットマイシェン(埋線)で14キロ痩せた最強雨オンナがお届けする台湾生活あれこれ 

台北でカウンセリング② 許せないと向き合う(2022.7.8更新)

前回のカウンセリング後


前回のカウンセリング後、
心につっかえ消化不良を起こしていたものは跡形もなく消え去ったのだが、あたらしく湧いてくる感情にうまく対処できずもやもやしていた。

負けず嫌いな私は
無意識に勝ち負けで判断してしまうきらいがある。
『悔しい』『許せない』『負けたくない』
というきもちがいつまでもいつまでも消えないのだ。

それは紙に書けども書けども出口が見えず
100人ぐらいあやめてしまいそうなことばが並ぶこととなっていたし、その感情とどう向き合えばいいのか全くわからなくなってしまっていた。



↑こんな感じだったかも


今では誰も信じてくれないが
子供の頃は体も小さく無口だったわたしは、よくいじめっ子に絡まれていた。

やられっぱなしで泣くしかできなかったわたしは
いつの間にかその鬱々とした気持ちをエネルギーに変えることをおぼえていた。

大人になってからも見た目だけは優しくみえるのか
見くびられバカにされることも少なくはなかった。
そこでもわたしは、鬱々と湧き上がるどす黒い気持ちを着々とエネルギーに変えていった。

そしてその方法は、ある分野では確実に期待以上…
ときに爆発的な成果をあげ今もなお量産体制を継続している。

今まで私をバカにしていた人たちが
ある日をさかいに開口いちばん
「ご迷惑おかけしております」と低姿勢で謝罪する。
こんな状況に幾度となく遭遇してきた。

量産体制が継続されている一因に
京都人のDNAに刻み込まれているであろう特殊能力
『褒めてるように見せかけて牽制』
も大きく影響しているのは否めない。

京都で暮らしていると
皆が標準スペックとばかりに装備しているので
全く気が付かなかったが、他の地域の皆様から見るととても怖いらしい。

京都人の標準スペックはさておき
鬱々とした気持ちをエネルギーに変換するその方法は
自分の内側の消耗がすごく激しく
摩耗していっているのも感じていた。

仕事だと結果が出るまでの期間がある程度見えるが
感情面となると
いつ結果がでるかなんて皆目見当もつかず
長きにわたりどす黒い気持ちと共存しなければならずとてもつらくなるのだ。

そこで私は
ゆりかさんに2度目のカウンセリングをお願いした。

ゆりかさんのカウンセリングは
つまづいているところを探したり
背中をぽんって押してくれる
ようなカウンセリングなので緊張せず安心してお話できます。

ゆりかさんの詳しい情報はこちら

勝ち負けと向き合うカウンセリング


ゆりかさんは
私にからみついた勝ち負けや上下のジャッジにについてこう言った

 
ゆりかさん
勝ち負けの感情は自分を守るためのものだったので全否定する必要はないんです
Rainyqueen
そうなんですね
 
ゆりかさん
仕事だとゴールが見えてるので、ガソリン的に使うのはokです。
でも恋愛にあてはめてしまうと副作用が出てしまうんです。
 


Rainyqueen

 

副作用の塊ですよっ!
 
ゆりかさん
自分を守るために身に着けた愛情だったんです
今の私にはもうサイズアウトしているなって
感謝して手放していくといいと思います
Rainyqueen

 

できるかなぁ
 
ゆりかさん
勝ち負けや上下のジャッジに支配されてしまうと
純粋な気持ちではないところで手放せなくなってしまううんです
Rainyqueen
呪いみたいですね そんなのいやです><


小さいころから自分を守ってきた方法が
恋愛という分野に当てはめてしまったときに
『自分は負けた』 『自分は相手よりも下なんだ』
というロジックになってしまっていたのだ。

負けず嫌いな私は
無意識に勝ち負けで判断してしまうことが多く
そのせいでいつだって0か100か伸るか反るかみたいなことになる。

でもそれは、なんでもあてはめていいわけではない。
70の存在も認めてあげてもいいのだ。

私の感情はいつの間にか
いろんなものを抱え込み巻き込みがんじがらめになっていたのだ。
例えるなら毛玉で動きを封じ込められた長毛種の猫。
というところだろうか。

そしてここでも紙に書きだすという作業が登場する。
勝ち負けや、上下でジャッジしていることに気づいたときに紙に書き出してみてみる。

そしてその考えは本当に必要なのか自分に問う。
この地道な作業が自分を変えていくのだ。

紙に書くといろんなものが見えてくる。
許せないという気持ちを細分化したときに
自分でも気づいていなかった潜在意識みたいなものがはっきりと浮かび上がってきた。

きっとそこに気づいてほしくて
私の心はずっと許せないと叫んでいたのであろうか?

冷静に考えてみれば
しょうもない相手に『価値がある』と認めてもらう必要などないのだ。

勝ち負けに支配されていたわたしは
どこかで損を取り返したかったのだと思う。
こんなにも投資したのだから取り返さないと!と

まるで株や競馬で損した人が
やっきになって取り返そうとするそれに似ている。

『許せない』とういう感情は
相手を許すと我慢を強いられ受け入れた自分がバカみたいだし滑稽にさえ思う。
だから許したくないになっていたのだ

スポンサーリンク

『幸せ』と『喜び』を分けて考える

ゆりかさんに言われるまで、わたしはこの違いを全く意識したことはなかった。

簡単に言うと
『喜び』は瞬間的なもので、グラフにするとあがったりさがったりが忙しい。

反対に『幸せ』は、ゆっくりジワジワと右肩上がりのグラフを描くのだ。

わたしが置かれていた状況は
まさしく『喜び』一択でそこに『幸せ』などはなから存在などしていなかったのだ。

『喜び』というのは瞬間的なもので永続性はない
その瞬間が終わるとなくなってしまうのだ。
だから不安になって次の『喜び』を得ようとする
これを繰り返してしまいいつもしくじる結果になっていたのだ

『幸せ』っていうのはたぶん
温泉につかっているみたいなじんわりしたやつで
いつまでも続くと暇で飽きてしまうもので
『幸せ』と『たまに喜び』と絶妙にミックスしていくと満足度があがるんじゃないかと思ってる。

詳しいことはこちらに書かれていますのでご参考に

理想を明確にする

実は私は明確な理想のタイプというものがなかった。

一般的にクズ男さんにカテゴライズされる人々は
明確な理想を持っていない人を見つける嗅覚が恐ろしく発達しているのだそうだ。

結果、明確な理想のない人は
いわゆるクズ男さんを引きよせやすくなる。
さもありなんである。

ということで私も紙に理想のタイプを書いてみた
おもいつくまま心のままに書いてみた

※ゆりかさん曰く
『心身ともに健康な人』は必ず書きましょうとのこと
大原則をわすれてはいけません。
心身ともに健康でなければ恋どころではありません。

ということで一部抜粋
①心身ともに健康で情緒が安定している人
②イケメンで独身
(イケメンの定義はひとそれぞれ皆誰かのイケメン)
③平等で対等な関係でいられる人
④いつも信頼と愛情と安心を感じられる人
⑤離れている時も安心と信頼を感じられる人
⑥精神的、経済的に自立している人
⑦愛を受けて育った人
(甘やかされて育った人って意味じゃないよ)
⑧本人や家族親戚が新興宗教や奇跡の水などに心酔していない
⑨問題と向き合える人
⑩黒い組織とつながっていなくて、家族親戚にもそのような人がいない(元〇〇もNG)

本当はこんな調子30ぐらい書きました笑
私に近づいてくる人は
⑦と真逆の環境で育った人が圧倒的に多い。

愛情を注いでも注いでも枯渇していてそれは
底が抜けたバケツにずっとお水を注いでいるようなものでこっちが摩耗して疲弊していく。

きっとそういう悪循環が『喜び』のみを引き寄せていたんだなっと実感。
そういう人には近づかない事、寄せ付けない事がいちばん大事。

親と向き合う

対面でのカウンセリングがおわり3日間のLINEカウンセリングときに
ふと気になることがあって母親との関係について聞いてみた

 
ゆりかさん
心理学では母親との関係性がその人の人生に大きな影響を与えると言われています

 

例えば褒められたことがなかったのなら大人になってから「人を褒める」が苦手になることが多いです。

あと何かを対価として出さないと受取る権利がない(やさしさや愛情 お金 関心など)と思うことが多くなります。


わたしは一時的ではあるが
幼少期にやや複雑な家庭で育った。
子供の頃の思い出と聞かれて浮かぶのは
理不尽に怒鳴られた毎日だ。
楽しいこともあっただろうけど
一番に出てくるのはそれなのだ。

そのせいかなんかこじらせているところがあるのだ。
素直に感情が表現できなかったり
自分の感情を見てみないふりをして他者を優先したり
その影響は小さくはないようだ。

『結婚』というワードからイメージできるのは
孤独と絶望と抑圧って即答するし
まぁこんな感じで非常にこじらせてしまっている笑

ここでも紙に書き出すという作業が大活躍した。
ゆりかさんのアドバイス通りにあの時の自分の感情を書き出してみた。

正直あまり思い出したくない記憶だし
その扉をこじ開けて引っ張り出す作業は想像以上に疲れた。

何回もハイボール飲んでやろうかと思ったけど
ここは酔っぱらってる場合ではないと奮起し
しらふで真剣に向き合った。

紙の上でいくつも共通して出て来たキーワードが
今の私というものの形成に大きく影響していることが自分でも見て取れた。

ちなみにそのキーワードは『肯定』と『自由』だった

次にやったのは
母の人生を書き出してみるというものだった。

どこで生まれて、何歳で結婚してなど知る限りの情報を書いてみた。

この作業は
お母さんも大変だったんだねと労う作業ではなく
母の行動と私の存在価値は全く関係のないものだということを客観的に知るためのものなのだ。

書き出せば書き出すほど
母の行動と私は関係のないものだとわかった。

全ては偶然や母自身の選択によるもので
わたしが強要したものは何一つなかった。

少々突き放した言い方をしてしまうと
当たり散らされて否定されて怒鳴られるおぼえなどなかったのだ。

少々大げさな言い方かもしれないが呪いが解けた気がしている。

できることなら今すぐ10歳の私に教えてあげたい。
じっと耐えるしかなかった10歳の私にあなたのせいではないと伝えてあげたい。

その後のわたし

久しぶりに会う友達に
「顔つきが変わったね」って言われるようになり
自分でもその変化にびっくりしている。

ネガティブな感情の存在を認めつつしているうちに
いやなことを思い出す時間も少なくなっていった。

まさに人生の根底が覆っていき
人生の前提が変化し始めたのだ。

あのとき勇気を出してゆりかさんにLINEしてよかったと心から思っている。

人生はリアクションではなくアクションとはよく言ったものですね♪