ある日突然出会った台湾式ダイエットマイシェン(埋線)で14キロ痩せた最強雨オンナがお届けする台湾生活あれこれ 

台湾で鵜呑み厳禁なひと言

今日は
台湾の皆さんが言う鵜呑みにしてはいけない一言について書いていきます。

※あくまで筆者とそのまわりの目線ですので
頭の片隅にでも置いていただけると幸いです。

僕のママはフレンドリーだよ

当ブログは圧倒的に女性の読者が多いので
日本ガールと台湾人の殿方という設定にします。

これいちばん信じてはいけない言葉。
この言葉を鵜吞みにして
えらいめにあった日本ガールズを何人みたことか。

たしかに本当にフレンドリーなママもいる。
それは
あなたと台湾の殿方との関係が
純粋に友達である場合に適用される。


彼女や結婚相手であった場合
それはそれは厳しく見られている。

結婚後も勝手に鍵をあけて入ってきたり
こちらの予定など無視で突然やってくる。
(そういうトメ様いるよね台湾)

ママ大好きな台湾の殿方は気づかないのだ。
ママという存在は何かの宗教の教祖の如く
殿方の心のどセンターに君臨しており
僕のママは誰にでもフレンドリーと
未来永劫信じて疑っていないのだ。


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日本が好き

台湾の殿方が言う「日本が好き」
これは旅行レベルの好きでしかない。
日本人の考え方や価値観を理解したわけではない。

日本の食べ物おいしい!
京都が好き!
コンビニ最高!
道がきれい!
雪が降ってる!
とまぁこんなところである。

あなたの彼氏が
少し日本語が話せて日本が好きだと言っている。

きっとこの人とならうまくやっていける
と思うのは早合点。

私たち日本人がどこで暮らそうと
日本人としてのアイデンティティーや

文化や価値観を忘れないのと同じで
彼らだってまたそうなのだ。


2、3年日本で勉強した 働いた
日本が好きでよく旅行する
日本の全都道府県を制覇した
その程度では上辺だけの理解しか望めない。
もっと本質から理解するということは望めない。
そんな簡単なことで変わるものではないのだ。

わたしたち日本人もそうでしょ?
台湾に留学した
台湾1周した。
それぐらいで何もかも理解できるわけはない。

現に
『ママが勝手に鍵をあけてはいってくる問題』
全く解決しないのが何よりの証拠だと思っている。

そこの違いがわかっていないと
こんなはずじゃなかったのにという事態に陥ってしまう。

僕はメンツとか気にしないよ

これを言う台湾の殿方は嘘つきだと思っている。
(個人的には)

または
「僕はまぁまぁかな」
と差し支えない回答をする殿方。

老いも若きもメンツの塊である。

あなたがまだお客様の場合
メンツもあって非常によくもてなしてもらえる。
でもあなたが内の人になったとき
彼らの態度は一変する。

台湾人ってみんな優しくていい人~と思う方は
観光でやってきたか
日常においてあまり台湾の人々と接する機会が無い方だろう。

仕事や婚姻でいらした場合
このメンツというのは常に大きくはだかる壁になる。
とくに婚姻においては多くの日本ガールズが涙しているようだ。
(※幸せにやっている方もいます)

應該(yīnggāi)

以前にお友達のLちゃんが
『應該』は関西弁の『知らんけどな』に相当する
という秀逸な見解を述べてくれて
非常に腑に落ちた記憶がある。

とにかくこの『應該』という言葉自身もそうだが
『應該』をやたら使う人にはご注意いただきたい。

特に仕事の場で
應該可以吧~と言われた際には
全くOKではないと覚悟を決めたほうがいい
と個人的には思っている。

わたしは
仕事の場で『應該』を相手が使ってきたときは
「あなたの感覚で100%のうち何%なの?」
と聞くようにしている。

ずるい人になると
「應該って言ったよね?」と平気で逃げるからだ。

我來處理 (wǒ lái chǔ lǐ)

日本語にすると『僕がやっておくよ』
といったかんじだろうか。

我來處理とは言ったが
だいたい忘れているか優先度が極めて下に設定されている場合が多い。

誰でもそうだが
自分のメリットがないものについてはとにかく遅い。
台湾人の奥様方がよくきれている。

いつまでたってもやらず奥様の逆鱗に触れ
白い顔で動いている殿方を見たことがある。

わたしは仕事でよくこのフレーズを聞くので
「いつやるの?」
と必ず明確な日を引き出すようにしている。

我跟他已講好了 (wǒ gēn tā yǐ jiǎng hǎo le)

直訳すると「彼とはもうよく話した」
つまり話はついたと言いたいのだ。

ところがこれもにも落とし穴があって
蓋を開けてみたら、全く話などついておらず
相手はまだ激怒している場合がある。

話半分できくのがよし

わたしは話半分ぐらいで聞くようにしている。
彼らの言う事を信じないという意味ではない。

事態が急変したときの
心の余白を残しておくのだ。


職場でのんびりと報告する彼らをしり目に
最悪のケースを瞬時に計算し
こう来たときはプランAでいくぞ
などと日々リスクヘッジをして暮らしている。

とは言え
彼らのおおらかさに助けられるときも多々ある
摩訶不思議な台湾生活。