最強雨オンナがお届けする台湾生活あれこれ 2020年12月はてなブログからこちらにお引越ししました

正直台湾が嫌いになった時期もある(2021.10.24)


台湾で暮らして10年目に突入したわけだが、
私の『台湾』に対する感情はおおむね下記のグラフのような曲線を描いて推移している。


ご注意
私は完全おひとり様で現地採用で働いています。
まぁそういった視点で見ていただければと思います。

ちなみに私は第二次台湾大嫌い期を乗り越え
奇跡のV字回復期の真っただ中におります。
ここは外国だと言い聞かせても、解せない事は多々ある。
でも期待をしなくなった分楽にもなれたし、平穏に毎日が過ぎて行ってる気がしている。
何よりも台湾社会をフラットな気持ちで観察するということを始めたところ
これがなかなか楽しい。

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グラフにしてみた





右も左もわからなくて暇期(来台1か月目)


2012年に語学留学で台湾へやってきた。
このときの中文レベルほぼゼロ初級。
知り合いゼロ 彼氏もいなければ、勝手に台湾へやって来た身なので
全部一人でなんでもやっていくのは当たり前。

旅行では4回ばかり来た事があったのだが、旅行と生活は違う。
日本語話せる人が多いとは言われている台湾ではあるが、それはあくまでも観光地の話。
まず生活となると住むエリアからして違うし、観光地みたいに日本語が通じるわけではない。
豆乳1杯買うのも一苦労だし
今では簡単に買えてるタピオカなんてハードルが高くて買えやしなかった。
(砂糖やら氷の量やら言い方わからなかったし)

ただ、語学学校というものはこの世でいちばん楽しい学校であることは間違いなく
授業は1日2コマで、週に1度3コマの日があった。
奨学金生だとテストの点数が悪いと奨学金が支給されなかったりするので
結構なプレッシャーを感じている人々もいたが
自費で来た人々はお気楽に留学ライフを満喫していた。

台湾へ来て1か月ぐらいは友達も少なくて、家と学校の往復が続いた。
土日も東区なんかうろうろしてみるけど、今みたいにプチ贅沢ができるわけでもなく
旅行と生活って違うなっていうのを思い知った時期でもあった。

話が少しそれるけど、自力で台湾へやって来た人々の中には
『駐在員はなんでも会社が用意してくれるけど 私は俺は違った!』
とか謎めいたマウントをとる人がたまにいたけど
彼らは彼らで重ためな使命を背負って台湾へ来ている。
彼らを送り出した会社からしたら一刻でもはやく出社して結果出しなさいよって話。
そのために会社がいろいろ用意するのはしごくまっとうな話だと思う。

それに駐在員の奥サマたちはどこに行けば〇〇が買える!って情報が豊富で
ひきこもりがちなわたしはいつもよく教えてもらっていた。
パーティーグッズが安く手に入る問屋さん街を教えてもらったときは目からウロコだったし
日本式の三角のおにぎりを握ってくれるお店も教えてもらったし
たこ焼きのタコどこに売ってるのかも教えてもらった(台湾ってタコあまり売ってない)
奥サマたちの情報量は、代々引き継がれているものもあるのかすごく豊富だ
生活に根ざした情報が豊富で、大変お世話になったことは1度や2度ではない。
どんなにネットで探してもわからなかった事が瞬く間に解決したりする。


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先生の中文だけわかる(来台2か月目)


語学学校に通い始めて2ヶ月目ぐらいだろうか?
ゼロ初級者なりにも使える言葉が増えてきて、タピオカも買えるようになった
問題ここからで
先生の中文を聞きなれている私たちは、一般の人が話す中文が聞き取れないという事態に陥る。
語学学校の先生は比較的活舌も良く、語彙コントロールもしっかりできている。
故に生徒が知っている範囲の中文を選んで話してくれる。

ところが一般の人はそういうわけではなく自由に話すし
人によっては1語1語がくっついたような話し方をする人がいて
何をはなしているんだか全然わからなかかったこともある。

一度、授業中に教科書に載ってる道の聞き方なんかよりも
タピオカの買い方教えてよ!!って話になり、先生が教えてくれたことがあったな。
実際地図なんてアプリでどうにでもなっちゃうし。
中文のテキストにもタピオカの注文の仕方載せるべきだと思うよ。

台湾楽しいね期(来台3か月目~)


とは言え、語学留学生なんてお気楽な身分(何も背負ってるものがなければね)
言語交換もし、使える語彙が増えていき、お友達もふえていく。
お友達と台鉄や長距離バスで小旅行にでかけたり、中秋節のBBQをしたり
貯金切り崩しているなりにも楽しく毎日を過ごせる期へと突入していく。
facebookやインスタの写真も急激に増えていくのがこの頃。

この頃になると豆乳1杯買うのも苦労していたお店の皆さんとも
ある程度簡単な会話ができるようになっており、ちょっとしたサービスをしくれる時もある。
台湾来てよかったって思える時期でもある。
おぼえたての台湾語など話そうもんなら、めっちゃ歓迎してもらえる。
利害関係のないみんなとはいい関係が築けるのは、ある意味あたりまえなのだが
台湾の皆優しいな いい人だなって感情だけが先行するのもこの時期。
この時期は、世界は優しさに満ち溢れている~って錯覚を起こしそうになることもあった。

とは言え、本当に楽しくていい思い出がたくさんできたのはこの頃だった。

第一次台湾大嫌い期到来(来台1年半後~)


個人的に第1回台湾大嫌い期が訪れたのは台湾で就職して間もなくのことだ。
当たり前だが、語学学校では見えなかった台湾人社会が垣間見え、絶望したのがこの時期。

簡単に説明すると
①利害関係が絡んだ時の態度の豹変
②台湾名物メンツ
③日本社会も真っ青な縦社会

上述の状況に日常的に触れ、台湾大嫌い期の幕開けとなった。


新竹で働いていた時は、
メンツ大好き縦社会万歳 強き者には媚びへつらい、弱き者には傲慢なふるまい。
このような対応の人々に非常によく出くわした。
席ではスマホのゲームに夢中で、部下の女性につらくあたっている人もいた。
おもしろいことに、営業系にそのような感じが多く
技術系となるとこれまたがらりと雰囲気が変わって来る。
これはその企業のカラーにもよるので、一概には言えないだろう。
女性にこのタイプは少なく(いるとは思うけど)圧倒的に男性に多い。
同僚の女性も
『偉そうだし嫌いだけど、しょうがなく意見とか伺ってあげている』とよく言ってた笑

けどこの台湾名物メンツも
ある程度の年齢をこえ、ある程度の地位を築いたマダム層にはそのような概念が一切なくなる。
仕事で粗相でもしようもんなら完膚なきまでに叩きのめされるのだ。
会社でもそのような場面を目にしたことがある。
経理のマダムが当時所属の部署までやって来て、とある男性社員を完膚なきまでに叩きのめしていた。
その場で取り繕ってもマダムには通用しないのだ。

その後、台北の日系企業へと転職したのだが、そこでも新竹と同じようなもんだった。
上司や日本人の上層部には媚びた笑いを浮かべ、裏では悪口三昧。
中文がわからないのをいいことに目の前で悪口を言ったりなんてこともあった。
(あとでこっそり日本語にして教えてあげたよって話)


タクシーに乗るとよく聞かれる
『日本の男性よりも台湾の男性のほうが優しいでしょ?』という質問にも
『メンツ大好きマザコン野郎で溢れかえってて吐きそう』と真顔で返していたのもこの時期。
よくタクシーおろされなかったよねって話。
いつも思うけど、なんであんな確信をもって聞いてくるんだろう?
カバンなんて自分で持てるしエビの殻も自分でむけますって話。
もとめている優しさはそういう表面的な優しさではない。

そう言えば福〇愛ちゃんの離婚以来あまり聞かれなくなったかも笑

とにもかくにも、リアルな台湾社会に触れてカルチャーショックを受けたのだった。


どうやって大嫌い期を脱出?


大嫌い期を脱出したのは2017年あたりだろうか?
脱出というよりはある程度の折り合いがついたというのが正解だろう。
仕事なので、ある程度割り切れたというのもある。
これが家族とかだったら絶対に割り切れてはいなかっただろう。

この間に台北にある日系企業に転職もしたので、
様々なもやもやしたものが徐々に解決されてきたのも一因だ。
新竹に居た時に自分の語学力に絶望していたりもしたのだが、
転職すると周りは、語学学校で習ったような中文を話しており
失っていた自信(たいした自信ではないけど)を取り戻した。

台湾大嫌い期に、冷静に台湾社会と自分が置かれてきた環境ののギャップというものを観察してみたのもよかったと思う。
当たり前だけど、ここは日本ではないし
台湾の皆の言う日本が好きというのは、あくまでも旅行ベースの好きである場合が多いし
日系企業に勤めているのも、すべては生活のためで日本が大好きってわけではない。
どんなに日本語が巧みに操れる台湾の人でも、
奥深くまで日本の精神というものを理解している人は少ないし、
わたし自身はまだそのようなひとに出会ったことはない。

純粋なお友達との交流は続いており、
台湾人の彼らに思いっきり愚痴り、共感しあいということができたのも
大嫌い期を脱出できた理由だ。
彼らですら息苦しさを抱えているなら、私はわがままではないと
妙な自信がわいてきたりもした。


つづく。