ある日突然出会った台湾式ダイエットマイシェン(埋線)で14キロ痩せた最強雨オンナがお届けする台湾生活あれこれ 

今年も鬼月がやって来た(2021.8.14)

みなさんいかがおすごしですか?
わたしはと言いますと
在宅勤務が終わりを告げ、通常出勤に。

今日は鬼月あるあるを
ゆるく書いていこうと思います。

鬼月とは?

ピンインではguǐ yuèと表記するこの鬼月。
旧暦の7月(今年は8/8~9/6) あの世の扉が開いて
お星様になった人々がこの世に里帰りする期間。
日本でいうところのお盆ですかね。

ひとくちにお星様になった人々と言っても
善人から悪人まで様々なわけで
そんな彼らから身を守るという意味でも
いろいろなタブーがある(らしい)

わたしは絶賛おひとり様なので
家族や親せきが集まったりするのかは不明だが
見たり聞いたりした事を書いていきますね。

ホテルの部屋ノック必須

これは鬼月でなくとも皆常にやっているが、鬼月は特に念入りにやってる様子。
ホテルに泊まるとしよう。
部屋に入る前に必ずコンコンってノックするのだ。

RQ
なんでノックするの?
絶対誰もいないのに
お友達
見えない友達にあいさつしてるの

なんて怖い事をおっしゃるの?

お邪魔しますお手柔らかにという感じで
見えないお友達にご挨拶必須。

ホテルの部屋には
見えないお友達が住んでいる前提なのだそう。

ノックがいわゆるご挨拶になっていて
ご挨拶することで、夜怖い目にあわずに済むってことらしい。

あわよくば見えないお友達が
私たちの滞在中に部屋から出て行ってくれるのだとか。

郷に入っては郷に従えという話だし
わたしもホテルの部屋に入るときはノックしている。
よく忘れるけど。

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とにかく水場に近づかない

鬼月は水難事故が多いらしい。
もしかして連れていかれてしまうのであろうか?

よって多くの人々が
海や川へは行かないようにしている。

去年の夏のお話になるが
お友達から
ダイビングのライセンスを取りたいからみんなで緑島へ行こう!
というお誘いが来た。
緑島行ったことないし行きたい!!
わたし島をうろちょろ観光してるから
ライセンスとるのがんばってね~
で、いつ行く?

iphone取り出したまではよかったのだが
そこからがなかなか決まらないのだ。

友達曰く
6月:まだ水温が低いしなぁ
7月:夏休みで人多いしなぁ
8月:鬼月だしなぁ
9月:鬼月だし台風来るかもだし
10月:もう寒いよね

いや。
つライセンスとりに行けるねん!って話。

とまぁこんな調子で
年中ライセンスがとれない状況ではある
(友達の場合)

しかし、20代のうら若き台湾ガールですら
この鬼月っていうのをひどく警戒しているのだ。

とりあえず最後の一人にしないで

残業の多い会社にお勤めの台湾ガールは
一人になるのをすごくいやがる。

ふだんならなんてことないけど
何て言っても鬼月なのだ。

残業の多い部署のメンバーなんかは
おそろしく早朝から出勤し
最後の一人にならないようにしていたりする。

帰り支度を始めようものなら
けっこう悲壮感漂った表情でもう帰るの?と聞かれたりする。

日本語チャンネルがやばいことになる

台湾のケーブルテレビには
日本語チャンネルがいくつかある。

数年前のバラエティーやら昔のドラマや
日本と同じタイミングで放送されているドラマやら
番組構成は様々である。

とあるチャンネルは
四六時中と言っても過言ではないほどに
劇的ビフォーアフターが放送されており
日本語チャンネルというより
もはやリフォーム専門チャンネルと化している。

この日本語チャンネルで
鬼月になると決まって放送されるのが
本当にあった怖い話
世にも奇妙な物語
ミステリーとホラーが一緒になったみたいな映画
画面の色合いが全体的に暗い色になる。

ちなみに
台湾のケーブルテレビでも
怪談話特集みたいなものを放送しているが
セットが異様にかわいくて全然怖さが伝わらない

台湾のとある空港での話

前にもどこかの記事で書いたことがある気がするけど
まぁよい。
鬼月特別企画なのでもう1度書こう。

これは、昨年の話。
お友達のSちゃんが日本へ帰国することとなり
急遽台湾の南のほうの空港へお見送りすることとなった。

マンションを引き払ったSちゃんとホテルで1泊し
チェックアウト後空港へお見送りした。

地下鉄の駅と直結している南の空港。

駅に着いてしばらく歩いていると
急速に体が重たくなった。
上からすごい力で押さえつけらえている感覚で
1泊分の荷物が入ったリュックの重みでないことは明らかだった。

腕には鳥肌がたっていた。

10月末とは言え台湾の南はまだ真夏と言っていい。 
空港は当然クーラーがついている。
でもあの鳥肌は空調の強弱によるそれではないのだ。
言いようもない気持ち悪さがそうさせていた。

フライトまで時間があったので
空港のなかにあるカフェに入った。

コロナでお客さんが少ないせいか
ほとんどのメニューは提供されていなかった。
最後のタピオカミルクティーを堪能するSちゃんをしり目に
私はあったかい飲み物を注文した。
何を飲んでも鳥肌はおさまりやしないのだ。

Sちゃんも鳥肌に気づいて
寒いの?なんて心配くれたが
なんと説明していいかわからず
どうしたんだろうねぇと適当に流した。

お手洗いへ行くときも
なるべく一人にならないように
誰かのあとについて行った。

Sちゃんを出国ゲートでお見送りし
いよいよ私は一人になった。

外は真夏なみに太陽が照り付けて明るいのに
空港は不気味なぐらい薄暗く感じた。

地下鉄へ向かう道はまったくの一人っきりだったのに
ずっとだれかに見られているような感覚があった。

一刻も早く離れたいのに足が重い。
思うように足が前に出ない(気がする)

なにか見えてはいけないものが見えたわけではないが
誰かに見られているという感覚は
やっとの思いで着いた地下鉄の駅でも続いた。

地下鉄が来て空港からの距離が遠のくのと比例して
体は軽くなった。
一刻も早くその街から立ち去りたくて
一番早く出発する高鉄のチケットを買った。

台北に戻っても鳥肌がたったり
夜も誰かに見られているような感覚があった。

次の日のお昼ごろにジャカルタ姫が家にやって来て
一緒に出かけたのだが、途中の乗り換えの駅で倒れた。
眩暈がして立っていられなくなったのだ。

事の顛末を聞いたジャカルタ姫が
その夜家に泊まってくれた。

家に帰ってから寝るまでジャカルタ姫のiphoneから
お経がノンストップで流されいくぶんかましになった。

あとあと知ったのだが
その空港付近一帯は墓地で囲まれていた。

波長があってしまったのか
引き寄せてしまったのかわからないが
あの街では暮らしていけそうにないと実感した1日だった。

わたし個人の感覚だが
近づくのが嫌だなと感じたり
やけに空気が重いなと感じる場所がやけに多いのだ
あの街は。